愛する人から自分の名前を呼ばれることが、どれほど心の琴線を震わせることか知っている人は少ないだろう。
母は2019年頃から私の名前を呼べる回数が少なくなっていった。
呼びたくても叫びたくても言葉にすることが出来ず、口から声となって出てこないのだ。
心の中では呼べるのに、頭の中でも呼べるのに、脳内の糸電話が繋がっていかない。
そんな時、母は必ずゆっくりと目を瞑ることで、応えられない自分を、そして毎日起こるそれらの出来事を、どうしたら良いのか分からず1秒後ろの過去へ葬り去って削除していたんだと思う。
いつの日か全く名前を呼んでもらえない時が来ることを予想していた私は、2018年の12月から『名前を呼んでもらえた日』と「もう一つの言葉が言えた日」を記録している。
『名前を呼んでもらえた日』は、
2018年にはほぼ毎日。
2019年は3~5日に1回程度。
2020年はガクッと減ってたったの9回。
これはちょっと興味深い話、コロナの影響で週6回のディサービスでのマスク生活が、大きな因果関係を引き起こしていることは否めないはずだ。
話を積極的にする機会を失い、人の表情が分かりづらく、マスクで口を常に塞がれていては活力も失っていくのではないだろうか。
2021年は1月16日に2回と、1月18日のトータル3回。
そして今年2022年は今のところ4月11日と5月3日の2回。
次回はいつ心を震わせてくれるのだろう。
私はいつでも、いつまでもその瞬間を待っている。